大大阪の近代建築の再活用から街づくりを

1925年、大阪市は第二次市域拡張を実施し、人口日本一の近代都市になり「大大阪」と呼ばれました。中之島や船場付近には、中央公会堂や中之島図書館のような著名な近代建築が立ち並ぶ一方で、小さな近代建築も数多く建てられ、少ないながらも現在まで残っています。
しかし、老巧化や経済的理由のため解体されたり、活用されないまま放置されたりするケースもあります。物言わぬ近代建築が知らない間に解体されているのを発見する度に、街のアイデンティティが失われる気分になり、残せる方法はないのかと思っている人もいるのではないでしょうか。
私たちもまた、数少なくなった近代建築を発見し、次の世代まで残したいと考えています。そして、世界恐慌や、戦争や、バブルや、震災をくぐり抜け、小さいながらも、街に華やかさや豊かさを与える近代建築を積極的に使う提案をすることで、大阪の街づくりの基盤としたいと考えています。
はじまり
2004/08~
堺筋の旧三井住友銀行の突然の解体に驚き、それについてどう思うかとメールでアンケートを送ったことから、大バン(大オオサカまち基盤)は始まりました。中央公会堂、メンバーの自宅、空堀の町家「にぎわい堂」、水上カフェ「天満埠頭」、ビルの最上階をサードプレイスとして開放している「谷町空庭」など、さまざまな場所で会合を重ねるうちに、実に多様な職業や趣味を持つメンバーが増えていきました。
できることを片っ端からやっていこうとロゴを作り、配布するためのフライヤーを作り、そのために歴史をひもとき、あるいは実際に街へ出かけていく中で、大バンのなりたちと平行するように印度ビルディングとの出会いがありました。長年放置されていた内部はひどく荒れていたものの、何とも言えず魅力的なこのビルで、イベントを開催することにしました。持ち主の快諾により、大バンの印度ビルへのアプローチが始まりました。そして、次に同年には芝川ビルでのイベントを開催。多くのマスコミに取り上げられ、ますます活発な活動を行っています。

グループ名について
「大オオサカまち基盤」という一風変わったグループ名には、大阪が大大阪と呼ばれ、Modern Cityだった時代の近代建築を再活用することでこれからの大阪の街づくりの基盤にしようという意味が込められています。
大オオサカまち基盤メンバー
2004年7月、旧三井住友銀行船場支店が解体されるのを目の当りにしたことをきっかけに、「消えゆく近代建築に意義申し立て」という呼びかけの元に集まったグループ。建築家、編集者、ライター、映像作家、デザイナー、パティシエ、学生、OLなど多彩なメンバーが集まる。大阪が大大阪と呼ばれ、Modern Cityだった時代の近代建築を再活用することで、これからの大阪の街づくりの基盤にしようという意味を込めて『大オオサカまち基盤』を結成。掃除、実測、シンポジウム、展覧会、WEB、フライヤーなど、様々な方法で近代建築にアプローチしている。
画像提供:橋爪紳也コレクション
