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   <title>大大阪サロン：大オオサカまち基盤</title>
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   <title>印度ビルマニア</title>
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   <published>2006-07-25T06:41:57Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:50:01Z</updated>
   
   <summary> 大阪には大正時代から昭和初期に建設された、いわゆる近代建築が数多く残されていま...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top06.jpg" width="540" height="250" />

大阪には大正時代から昭和初期に建設された、いわゆる近代建築が数多く残されています。その数の多さと多様性は他の都市に類を見ないものです。また公共施設だけでなく、船場の商人達が建てた民間建築が多いことも、大阪の近代建築の特徴です。それは商都大阪の誇りであると共に、街に奥行きを与え、彩りを添える重要な都市文化といえるでしょう。

私達はそんな大阪の近代建築の魅力をより広く一般に知ってもらい、大阪の街の魅力向上、活性化につなげたいという目的をもって活動しています。それも文化財保護の観点に立った保存運動とは異なる「活きた建築の使いかた」を、活用方法の提案と実践を通じて創出したいと考えています。「使ってナンボの近代建築」、それが私達のモットーです。

印度ビル活用イベント「印度ビルマニア」は、２日間の期間限定でビル全体を開放し、個人やグループにスペースを提供して、作品の展示・販売やパフォーマンスの場をつくりだそうとするものです。事前に申し込んで参加料を支払えば誰でもスペース利用が可能で、来場者は無料で自由に建物内を見てまわることができます。屋上にはカフェを設けて憩いのスペースをつくり、参加者どうし、また来訪者間のコミュニケーションを促します。使う側、訪れる側の両方の立場で気軽に近代建築を体験してもらい、その魅力と可能性を感じてもらうことを目的としています。

本イベントは同時期に開催される、千島土地株式会社の所有する芝川ビルの１室をお借りした、「大大阪サロン2005 in 芝川ビル」の連動イベントです。芝川ビルでのイベントが歴史の資料展示や映像上映、シンポジウムなど「知る」ことを主眼とするのに対し、印度ビルでのイベントは「楽しむ」、近代建築を楽しんでもらうことを主眼としています。また今回のイベントは活用実験イベントと位置づけており、採算性よりまずニーズの把握、活用の可能性と効果の確認に重点を置き、印度ビルの結果を踏まえてより一般化した手法を提案することで、今後の展開の基点のひとつとしたいと考えています。

私達は以上のような趣意に基づき、「印度ビルマニア」の開催を計画しております。

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   <title>大正クルーズ</title>
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   <published>2006-07-25T06:41:06Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:48:55Z</updated>
   
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top05.jpg" width="540" height="250" />

今回、私たち大オオサカまち基盤は、芝川ビルにひそむ様々な歴史とともに、近代大阪の「運河」に注目しました。

「大正クルーズ」は、大正区の運河を船で周遊することによって、芝川ビルの建てられた近代大阪の時代をより深く回想することを目的としています。

一見、芝川ビルとは無関係に思われる大正区の運河ですが、芝川ビルを建設した千島土地株式会社と大正区の運河には深い関係があります。

千島土地（株）は、西区東千島町に1912（明治45）年というまさに明治時代と大正時代の境目の年に誕生しました。それ以前に千島土地（株）を創業した芝川家では、後の大正区内となる千歳新田15万坪や、千島新田18万6000坪、住之江区の加賀屋新田20万4000坪等の江戸時代後期に開発された広大な土地を保有していました。

そのとき、大正区はまさに大正時代へ向けて都市構造が激変する時期でした。大正区の三軒家に1883（明治16）年に操業された大阪紡績は、後に「東洋のマンチェスター」と言われ、大阪を世界一の紡績輸出地に押し上げた端緒でした。その後、大正区には、紡績や繊維、造船や鉄鋼などの様々な工場が建設され、煙突が立ち並ぶ工場島になっていきました。つまり、大正区は、近代大阪を支えるまさに原動力だっと言えるのです。

同時に、大正区には運搬のために、港へとつながる無数の運河が開削されていきました。さらに決定的に大正区を、水運の中心地としたのは、大正区の中央部に広大な土地を保有していた千島土地（株）だったのです。千島土地（株）は、木津川と尻無川を結ぶ大正運河の掘削と中央部に巨大な貯木場を建設し、西区の堀沿いに点在していた木材業者を誘致することで、大木材市場を築きました。

大正運河は1923（大正12）年に完成し、3年後の1926年（大正15年）、芝川ビルは竣工しました。つまり、大正運河と芝川ビルは、千島土地（株）の同時代の大事業なのです。

当時、「水の都」と言われた大阪の都市部には、西区を中心に無数の運河が流れていましたが、それらはほぼ江戸時代に開削されたものであり、当時作られた運河は、まさに大正区が中心地でした。また、もう一つの近代大阪のイメージである「煙の都」の中心地も大正区だったのです。

近代大阪を回顧する時、私たちは、どうしても都市部にばかり目を向けてしまいます。本日は、そこに隠れがちな大正区というもう一つの近代大阪を、当時にならって船という交通機関で周遊することで、もう一度光を当ててみたいと思います。そして、新たな視点で都市部にある芝川ビルを見直すきっかけを作ることができればと思います。

<img alt="大正クルーズの写真にて" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top05_img.jpg" width="540" height="150" />]]>
      
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   <title>芝蘭社家政学園</title>
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   <published>2006-07-25T06:40:33Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:47:33Z</updated>
   
   <summary> 昭和初期、北船場にあった、いとはんの花嫁学校 芝川ビルは、1928〓1944（...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top04.jpg" width="540" height="250" />
<h4>昭和初期、北船場にあった、いとはんの花嫁学校</h4>

芝川ビルは、1928～1944（昭和4～18）年の間、女学校を卒業した後の関西のお嬢さん、いわゆる、いとはん（いとさん）たちの花嫁学校でした。現在は静かな異彩を放つマヤ・インカ文明装飾+スパニッシュ瓦の正面玄関口から、当時は、華やかなキモノ姿のいとはんたちが出入りする風景が見られたのです。

学校の名前は「芝蘭社（しらんしゃ）家政学園」※。生徒は大阪や神戸、遠くは奈良など関西の有名女学校の出身者で、洋裁・和裁の主コースを基本に、習字、生け花、お茶、当時でも珍しいくらいハイカラなメニューの洋食をも含む料理（割烹）などの授業があったようです。食堂を併設､流し台などを備えたビルの地下室では本格的な調理実習が…。

教育事業にも強い関心を寄せていた又四郎氏が、帝塚山学院の学長であった庄野貞一氏を学監に迎え、自由な構想による私学として1928（昭和４）年に設立。残念ながら戦争の影響か、昭和18年には閉校となりますが、後の女子短大のはしりであったともいわれ、短大の家政科などの成立ちに影響を与えたようです。

「大大阪」としてモダン・シティ大阪が輝いていた時代、戦争の足音を少しずつ感じながらその頃のモダン・ガールたちはどんな未来を思い描いていたのでしょうか。

千島土地株式会社さんの協力で探し出せた、当時の学校資料の一部や、授業風景写真、卒業生の方のお話、又四郎氏長女・芝川百合子さんの記憶などを部分織り交ぜ、その記憶の一片を今回ご紹介致しました。

※学校名の正式な由来の記述は見当たりませんが、「芝川」の芝と、芝川家が一時期、蘭の栽培事業を行っていたことに由来するようです。

<img alt="芝蘭社家政学園 当時の写真より" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top04_img.jpg" width="540" height="150" />]]>
      
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   <title>近代建築オーナーサミット</title>
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   <published>2006-07-25T06:39:24Z</published>
   <updated>2006-07-31T03:40:47Z</updated>
   
   <summary> 	 		日時 		日時：９月２５日（日）　１５：００〓１７：００ 	 	 		...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top03.jpg" width="540" height="250" />

<table>
	<tr>
		<th>日時</th>
		<td>日時：９月２５日（日）　１５：００～１７：００</td>
	</tr>
	<tr>
		<th>場所</th>
		<td>場所：芝川ビル４階（大阪市中央区伏見町3-3-3）</td>
	</tr>
	<tr>
		<th>参加費</th>
		<td>参加費：事前申込\1000、当日\1200（鶴屋八幡特製大バン饅頭つき）</td>
	</tr>
	<tr>
		<th>パネリスト</th>
		<td>・生駒伸夫（生駒ビル）・上村田鶴子（伏見ビル）<br />
・児玉竹之助（江戸堀コダマビル）・小山寿一（北浜レトロ）<br />
・芝川能一（芝川ビル）・橋爪紳也（大阪市立大学大学院助教授）</td>
	</tr>
</table>


大大阪時代に建てられた近代建築を所有し、有効に活用されているオーナーの方々に よる座談会を開くというコンセプトで、芝川ビルを中心に、船場近隣の残存する近代建築のオーナー５名に集まっていただきました。 この企画は、建築家や建築史家など、学問的な考察が主であった近代建築を、実際それらを使っている方の目にはどのように映っているのか、どのようなところに苦労しているのか、あるいは喜びを見出しているのか、ということを知りたいという、素朴な関心が動機でしたが、今までにない試みとして、主要な新聞、テレビ、雑誌等、多くのメディアに取り上げられ話題になりました。

「近代建築を持つ」ということは、今の時代にとって、ほんの一握りの方だけのことであり、その方々の意見は、一つ一つが歴史を感じさせる貴重なお話でした。オーナーにとっても、今まで同じ近代建築を持つオーナーとの結ぶつきはほとんどなく、今回の企画はこれからの活用に大きな刺激と情報源となったというご意見もあり、大変有意義なイベントになったのではないかと思っています。 この企画は、今後も定期的に続けていった方がよいのではないか、という橋爪紳也先生や多くの皆さんのご意見もあり、大バンの活動の大きな位置を占めそうです。

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</div>

<h4>PHOTO GALLARY</h4>

<table>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_thumb01.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>芝川ビル</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_thumb02.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>パネリストのオーナー陣</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_thumb03.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>児玉ビル</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_thumb04.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>生駒ビル</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_thumb05.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>北浜レトロビル</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_thumb06.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>児玉ビル</p></td>
  </tr>
</table>]]>
      
   </content>
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   <title>芝川ビルとは</title>
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   <published>2006-07-25T06:38:37Z</published>
   <updated>2007-05-11T07:00:48Z</updated>
   
   <summary> 芝川ビルがかつて、女学校を卒業した関西のお嬢さん、いわゆる「いとはん（いとさん...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.o-ban.net/salon/">
      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top02.jpg" width="540" height="250" />

芝川ビルがかつて、女学校を卒業した関西のお嬢さん、いわゆる「いとはん（いとさん）」たちの花嫁学校だったことをご存じですか。マヤ・インカ装飾にスパニッシュ瓦を葺いたこの正面玄関から、華やかな着物姿のいとはんたちの出てゆく姿が見られたのです。

学校の名前は「芝蘭社（しらんしゃ）家政学園」。生徒は大阪や神戸、遠くは奈良など関西の有名女学校の卒業生が多く、授業は洋裁・和裁の主コースを基本に、習字、生け花、お茶、また当時ではまだ珍しい、ハイカラな洋食メニューを含む料理（割烹）などがありました。

長年の念願であった耐火・耐震建築を完成させた芝川又四郎は、教育事業にも強い関心を寄せていました。芝川ビルの完成後、帝塚山学院の学長であった庄野貞一氏を学監に迎え、自由な構想による私学として1928（昭和4）年に芝蘭社家政学園を設立。残念ながら戦争の影響か、1944（昭和18）年には閉校となりますが、後の女子短大のはしりであったともいわれ、短大の家政科などの成立ちにも影響を与えたようです。

芝川ビルの80年にわたる建築にかけられた思いの深さと、歴史の厚みに触れていただければ幸いです。

<a href="http://shibakawa-bld.net/">芝川ビル　公式ホームページ</a>

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</div>

<h4>芝川ビルディング新築工事概要</h4>

<table>
<tr>
<th>位置</th>
<td>大阪市東区伏見町四丁目三三［当時］</td>
</tr>
<tr>
<th>階数</th>
<td>五階建（地下階を含む）</td>
</tr>
<tr>
<th>本館延坪数</th>
<td>四九一坪九七［約1626㎡］</td>
</tr>
<tr>
<th>起工</th>
<td>大正十五年六月十六日</td>
</tr>
<tr>
<th>竣工</th>
<td>昭和二年七月一日</td>
</tr>
<tr>
<th>工費</th>
<td>金二十五万円</td>
</tr>
<tr>
<th>設計及び監督</th>
<td>基本計画並びに構造設計　澁谷五郎</td>
</tr>
<tr>
<th>意匠設計</th>
<td>本間乙彦</td>
</tr>
<tr>
<th>現場監督</th>
<td>芝川建築部</td>
</tr>
<tr>
<th>一、	工事請負者</th>
<td>竹中工務店</td>
</tr>
<tr>
<td colspan="2">雑誌「建築と社会（昭和3年11号）」より抜粋）</td>
</tr>
</table>


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</div>

<h4>設立者　芝川又四郎</h4>

このビルを建てた芝川又四郎は、江戸時代から続く唐物貿易商の六代目にあたります。江戸時代から伏見町に百足屋（むかでや）を構える芝川又右衛門家が後に不動産業へ転じ、1912（明治45）年、大阪市西区三軒家（後に小林町に移転）に千島土地株式会社を設立します。

又四郎が家督を相続した1923（大正12）年は、千島土地の造った大正運河が6月に竣工、そして9月に関東大震災があった年です。前年から海外洋行で建築物、学校などを視察していた又四郎は「火事、地震に強い建物を」との考えから、日本家屋と洋館が折衷された伏見町の芝川本邸を、1927（昭和2）年に鉄筋コンクリート造の「芝川ビル」に建て替えました。
(1949（昭和24）年に百又株式会社を設立。現在芝川ビルは百又の所有となっている。)]]>
      
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   <title>大大阪サロン2005 ドキュメント</title>
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   <published>2006-07-25T06:30:52Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:45:36Z</updated>
   
   <summary> 総来場者数216名 【2005/03/20-21】 来場者は初日128名、2日...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_top03.jpg" width="540" height="250" />
<h4>総来場者数216名</h4>

【2005/03/20-21】
来場者は初日128名、2日目57名、大バンのメンバー他関係者31名、計216名が印度ビルを体験した。一般来場者に回答いただいたアンケートによると、近代建築に関心のある方や何かの活動中の方を中心に、幅広い層に来場いただいたようだ。印度ビルについて「小さいビルなのに中は広く静かで良い空間」「趣きがあって落ち着く」という回答が目立ち、近代建築に住みたいかという質問に対して、多くの方が「住んでみたい」と回答。「雰囲気を作りやすそう」「作った人の思いを引き継ぐ喜びがある」「天井が高いのが気持ちいい」などがその理由だった。

大バンにとってはとにかく開催できてよかったという満足と、盛りだくさんになり過ぎてイベントの主旨を伝え切れなかったという反省を感じた二日間。けれど何より多くの人を引き寄せる印度ビルディングの磁力に驚くと共に、建物を通して直に歴史に触れる実感を得た。

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<h4>PHOTO　GALLARY</h4>

【2005/03/20-21】

<table>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb01.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>入口のサイン</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb02.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>階段で二階へ</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb03.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>2階受付は元「薬事ニュース」</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb04.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>近代建築の写真などを展示</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb05.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>橋爪紳也コレクションの大大阪絵はがきや近代建築のスケッチ、講師陣の書籍などを販売</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb06.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>2階写真館</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb07.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>記録映像撮影</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb08.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>3階大サロン･「大大阪観光」上映（2日目「中之島」等も上映）</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb09.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>応接室･大バンの写真や今橋消防署活用提案を展示</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb10.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>シンポジウムは立見も出る大盛況</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb11.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>３階中サロン･大阪市大院生の卒業制作</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb12.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>２階中サロン･失われた近代建築と新しい建物の対比を展示</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb13.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>中２階小サロン印度ビルゆかりの写真</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb14.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>思い出を語り合う粕屋さんご兄弟</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb15.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>ちょいカフェ＠印度空庭</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb16.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>クミスケシフォンが人気の店長</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb17.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>晴天にも恵まれ、一番人気のあった屋上</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb18.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>カフェスタッフたち</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb19.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>青空散髪師も登場、このほか屋上には紙芝居師も登場</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb20.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>会場には木蓮などの花も</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb21.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>二日目に登場のタイ式マッサージ</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb22.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>うえまち自転車さんの近代建築サイクリング</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb23.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>のんびり窓辺で大大阪本を</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb24.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>体に馴染むスケールの階段</p></td>
  </tr>
</table>

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</div>

<h4>参加者の声から</h4>
<ul>
<li>人にもったいないと思われているものは、どんなものでも魂が宿っていると思う</li>
<li>建築は「人が使ってこそ」のものだと思う</li>
<li>二日間だけでなくそこに至る経過をすべてイベントにしたことがよかった</li>
<li>人の手が入ると建物が生き返るのを実感できた</li>
<li>イベントに関わった人みんなが本当に楽しそうにしていたことが印象的</li>
<li>凝った意匠、贅沢な空間構成、味わいのあるタイルやガラスなどの魅力的な素材は壊せば元に戻らない</li>
<li>戦前・戦時中・戦後、近代建築を通して知っておくべき話が山ほどある</li>
<li>多少手を加えてもよさそうな、近代建築のゆるさをいいなぁと思う</li>
<li>建築の良さや有名さというのは、つまるところ情報発信の仕方による</li>
<li>路線価坪170万、実勢価格坪300万、土地40坪として1億2千万円の売買が成立する可能性がある、こんな高い土地の上にこの小さな建物は建っている</li>
<li>来てくれた人たちは自らイベントを理解してごく自然に時間を過ごしていた</li>
<li>人が出入りをした方が建物のためにも良いということを体験としてわかってもらえた</li>
<li>見切り発車ってできるんだ、とりあえず行動することって本当に大事と痛感</li>
<li>大バンは組織であるというよりもムーブメントだと思う</li>
</ul>]]>
      
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   <title>実測＆掃除イベント</title>
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   <published>2006-07-25T06:29:04Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:45:10Z</updated>
   
   <summary> 実測イベント 【2005/01/29】 用意するもの　図面　コンベックス　軍手...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_top04.jpg" width="540" height="250" />
<h4>実測イベント</h4>

【2005/01/29】
用意するもの　図面　コンベックス　軍手　筆記用ボード

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<h4>お掃除イベント</h4>

【2005/02/11】
用意するもの　カイロ　軍手　新聞紙　ぼろ布　ゴミ袋　ゴム手　頭に巻く　タオルマスク　ほうき　ちりとり　雑巾　コテ　掃除機　その他思いつく掃除用具　弁当

長年使われていない印度ビルディングでイベントをするに当たり、わたし達はその準備も含めた段階的なイベントにすることを思い付いた。まずは建物の実測、そして大そうじ。呼びかけに集まったのは、実測に約20人、大そうじに約30人。どちらも決して楽しい作業ではないはずなのに、思いがけないほど真剣で、そしてなぜか楽しい。直前にある新聞で扱っていただき、それを見た印度ビルディングにゆかりのある方々も参加。古い写真を見ながら、また、かつての話を聞きながら、建物に直に触れるという貴重な経験の中で、わたし達は、建物に体が馴染んでゆくという実感、自分の立つ場所に流れた数十年の歴史の感覚、そして、建物が自分達の手で息を吹き返していく喜びを得たのだった。小さな建物を通して、今、そして過去の多くの人々と出会い、大阪という街に触れた気がした。

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</div>

<h4>写真</h4>

<table valign="top">
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_01.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>ふだん仕事で実測を行う建築チームを中心に各班ごとに実測</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_02.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>冬の寒い日、何度も印度ビルに足を運ぶ</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_03.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>カフェへの通路にするため、屋上に溜まる水をかき出す</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_04.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>屋上に自生する植物を大事に残しながらの大そうじ</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_05.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>幼少期をこの建物で過ごした粕屋さんが、休憩しながら戦時中の体験を語ってくれた。屋上には戦争時の焼夷弾の跡も</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_06.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>誰かが棲みついていた跡の残る部屋、埃を取るために濡れた新聞を</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_07.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>埃はいつまでも立ち込める、めくれてぶら下がっている壁のペンキを落とし、掃く、の繰り返し</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_08.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>思い思いの掃除スタイルが、なぜか全員本格的。白骨化したねずみを片付けた部屋で休憩</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_3_09.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>階段の手摺は、埃の下から美しい大理石が姿を現した</p></td>
  </tr>
</table>]]>
      
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   <title>印度ビルとは</title>
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   <published>2006-07-25T06:25:02Z</published>
   <updated>2006-08-01T01:27:45Z</updated>
   
   <summary> 昭和初年頃、大阪船場の道修町１丁目にこの建物は建てられた。このあたりは江戸時代...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/whats_top03.jpg" width="540" height="250" />

昭和初年頃、大阪船場の道修町１丁目にこの建物は建てられた。このあたりは江戸時代から「くすりの町」として栄えた地域で、今は印度ビルディングと呼ばれるこの建物も、元は薬種商を営む新良貴（しらき）徳兵衛氏が商店として建設したものだ。当時船場の町家にはよくみられた店舗兼住居の建物で、間口が狭く奥行きの深い間取りも町家のそれを踏襲している。

戦後インド人のアマルナス・セット氏の手に渡り、印度ビルディングという名称はそのときからと思われる。１階は印度銀行が店舗を構え、３階が貿易会社として使われた。その間日本人や韓国人の夫婦が間借りして住んだこともあったようである。その後所有者が何度か変わり、テナントで埋まった時期もあったらしい。現在は１階で喫茶店が営業している他は、ほとんど放置された状態となっている。

西洋の様式を模した外観は、当時相当モダンに感じられたに違いない。１階部分には竜山石が石積風に貼られ、今は吹付仕上の２・３階部分も最初はタイル貼だった。窓のスチールサッシは当時のもので、アルミサッシを見慣れた現代の目には非常に繊細にみえる。特徴的なのは窓に外部シャッターがついていることで、当時まだ珍しかった鉄筋コンクリート造の構造と考えあわせて、防火・防犯に対する意識が相当高かったものと想像される。実際昭和20年の空襲で焼夷弾が落とされたが、この建物はほとんど被害を受けることなく焼け残った。

内部は改修が繰り返され当時の面影を残す部分は多くないが、その中で目を引くのが主階段手摺の極厚大理石だ。厚さ50mmを超える大理石は、この規模の建物にはどうも不釣り合いに感じられる。しかしそれは当時民間の商人が「ビル」を建てることのすごさ、その意気込みを表しているといえるかもしれない。（2005年3月現在）

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</div>

<h4>建築データ</h4>

<table>
<tr>
<th>所在地</th>
<td>大阪市中央区道修町1-5-5</td>
</tr>
<tr>
<th>竣工年</th>
<td>昭和初年</td>
</tr>
<tr>
<th>設計</th>
<td>大倉組？</td>
</tr>
</table>


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</div>

<h4>写真</h4>

<table>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_2_01.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>写真家のスタジオとして利用されていたこともある。壁は今回新たに塗りなおした。 </p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_2_02.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>建物頂部のロンバルディアバンドとポール基部の星形装飾。建設当時、壁はタイル貼りだった。</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_2_03.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>家族用として計画された階段。木製手摺の形が住居の面影を感じさせる。</p></td>
  </tr>
  <tr>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_2_04.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>都心の屋上という過酷な環境にもかかわらず、植物達は人の手を借りずに「自生」していた。</p></td>
    <td><img src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_thumb_2_05.jpg" alt="" width="165" height="124" /><p>小サロン</p></td>
    <td>&nbsp;</td>
  </tr>
</table>

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</div>

<h4>印度ビルディング年表</h4>
<table>
<tr>
<th>1868</th>
<td>新良貴徳兵衛　広島に生まれる</td>
</tr>
<tr>
<th>1888</th>
<td>大阪に出て実業を学ぶ</td>
</tr>
<tr>
<th>1907</th>
<td>独立して薬種商を始める</td>
</tr>
<tr>
<th>1914</th>
<td>第一次世界大戦</td>
</tr>
<tr>
<th>1918</th>
<td>同大戦終了</td>
</tr>
<tr>
<th>1925</th>
<td>市制拡張　大大阪に</td>
</tr>
<tr>
<th>1926</th>
<td>新良貴徳兵衛商店　屋上温室・地下室付のビルに改築</td>
</tr>
<tr>
<th>1936</th>
<td>この頃二代目健二　黒い箱型の自動車を購入</td>
</tr>
<tr>
<th>1939</th>
<td>第二次世界大戦</td>
</tr>
<tr>
<th>1945</th>
<td>地下室で空襲を逃れる．第二次世界大戦終了</td>
</tr>
<tr>
<th>1947</th>
<td>この頃アマルナス・セット氏購入．印度ビルディングに渡邉さんの祖父が印度ビルで暮らし始める</td>
</tr>
<tr>
<th>1952</th>
<td>この年まで渡邉さん祖父，印度ビルに暮らす</td>
</tr>
<tr>
<th>1968</th>
<td>この頃ジャガット・ナラヤン・ジャスワル氏の所有に</td>
</tr>
<tr>
<th>1985</th>
<td>この頃１階の喫茶店「丘」が開業ビルがテナントで埋まっていたのはこの時期</td>
</tr>
<tr>
<th>1999</th>
<td>英バーミンガム在住ラダ・ラニ・ジャスワル氏が相続</td>
</tr>
<tr>
<th>2000</th>
<td>大阪市中央区の不動産会社が売買により取得</td>
</tr>
<tr>
<th>2004</th>
<td>大バン，印度ビルディングと出会う</td>
</tr>
<tr>
<th>2005</th>
<td>大大阪サロン開催</td>
</tr>
<tr>
<th>2005</th>
<td>解体される</td>
</tr>
</table>


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</div>

<h4>印度ビル実測図　1：250（イベント開催時）</h4>
<img alt="india_rayout.gif" src="http://www.o-ban.net/salon/img/india_rayout.gif" width="454" height="275" class="center"/>]]>
      
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   <title>大大阪サロン２００５ in 芝川ビル</title>
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   <published>2006-07-25T06:06:58Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:44:05Z</updated>
   
   <summary> 大オオサカまち基盤は2005年9月、第2回となる「大大阪サロン2005 」を芝...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/shibakawa_top.jpg" width="540" height="250" />

大オオサカまち基盤は2005年9月、第2回となる「大大阪サロン2005 」を芝川ビルで開催しました。そこでは芝川ビルの歴史的な資料展示を中心に、近代建築オーナーが一堂に会するシンポジウムを開くなどして近代建築の魅力やかけがえのなさ、その活用性の高さをアピールしました。また多くの方に芝川ビルへ足を運んでもらい、その独特の魅力を感じてもらいました。

さらに、芝川ビルを創立した千島土地株式会社が、同時期に作った大正運河をテーマに中之島から島になっている大正区を船で一周する「大正クルーズ」。第一回目の「大大阪サロン2005 」の会場になった印度ビルディングの建物全体を期間限定のカフェ、ショップ、ギャラリー等のバザール会場にする「印度ビルマニア」など、様々なイベントを同時に開催しました。]]>
      
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   <title>大大阪サロン２００５ in 印度ビル</title>
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   <published>2006-07-25T06:05:16Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:43:39Z</updated>
   
   <summary> 近年、大正時代から昭和初期にかけて建てられた、いわゆる近代建築に対する関心が高...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="" src="http://www.o-ban.net/salon/img/whats_top02.jpg" width="540" height="250" />


近年、大正時代から昭和初期にかけて建てられた、いわゆる近代建築に対する関心が高まっている。けれどもこれまで、このビルが取り上げられることはなかった。確かに、自動販売機の列と大きなテント庇が外壁の石張りを覆い隠し、窓にはエアコンの室外機が無造作に吊られて建築のことがよくみえない。しかしわたし達は見逃さなかった。中の様子を伺うと使われている形跡はない。大きさも手頃だ。現在の所有者を見つけ出して申し入れると快諾してくれた。ここでイベントをやろう。それからわたし達と印度ビルディングとの関わりが始まった。

内部はひどい荒れようだった。まずは掃除をし、実測をして何ができるかを探っていった。その過程で私たちの感覚が、昭和初年に建てられた空間にフィットしていくのがわかる。また一方でこの建物で暮らした人や、その孫の方に出会うことができた。当時の写真や話を聞くなかで、建物のあちらこちらに記憶の痕跡があることを知る。当たり前のことだけれども、都会のど真ん中にも人の生活があり、歴史があるのだ、ということを知る。

近代建築の空間に体を馴染ませ、記憶の堆積に身を置くこと。その存在を多くの人に知ってもらう機会をつくり、何より自分たちが楽しむこと。そんな一連の全てをひっくるめて、私たちは大大阪サロンと呼んでいる。]]>
      
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   <title>大大阪サロン</title>
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   <published>2006-07-25T05:53:53Z</published>
   <updated>2006-07-31T01:43:10Z</updated>
   
   <summary> 近代建築の空間に体を馴染ませ、記憶の堆積に身を置くこと。その存在を多くの人に知...</summary>
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近代建築の空間に体を馴染ませ、記憶の堆積に身を置くこと。その存在を多くの人に知ってもらう機会をつくり、何より自分たちが楽しむこと。そんな一連の全てをひっくるめて、私たちは大大阪サロンと呼んでいます。]]>
      
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