芝川ビルとは

芝川ビルがかつて、女学校を卒業した関西のお嬢さん、いわゆる「いとはん(いとさん)」たちの花嫁学校だったことをご存じですか。マヤ・インカ装飾にスパニッシュ瓦を葺いたこの正面玄関から、華やかな着物姿のいとはんたちの出てゆく姿が見られたのです。
学校の名前は「芝蘭社(しらんしゃ)家政学園」。生徒は大阪や神戸、遠くは奈良など関西の有名女学校の卒業生が多く、授業は洋裁・和裁の主コースを基本に、習字、生け花、お茶、また当時ではまだ珍しい、ハイカラな洋食メニューを含む料理(割烹)などがありました。
長年の念願であった耐火・耐震建築を完成させた芝川又四郎は、教育事業にも強い関心を寄せていました。芝川ビルの完成後、帝塚山学院の学長であった庄野貞一氏を学監に迎え、自由な構想による私学として1928(昭和4)年に芝蘭社家政学園を設立。残念ながら戦争の影響か、1944(昭和18)年には閉校となりますが、後の女子短大のはしりであったともいわれ、短大の家政科などの成立ちにも影響を与えたようです。
芝川ビルの80年にわたる建築にかけられた思いの深さと、歴史の厚みに触れていただければ幸いです。
芝川ビルディング新築工事概要
| 位置 | 大阪市東区伏見町四丁目三三[当時] |
|---|---|
| 階数 | 五階建(地下階を含む) |
| 本館延坪数 | 四九一坪九七[約1626㎡] |
| 起工 | 大正十五年六月十六日 |
| 竣工 | 昭和二年七月一日 |
| 工費 | 金二十五万円 |
| 設計及び監督 | 基本計画並びに構造設計 澁谷五郎 |
| 意匠設計 | 本間乙彦 |
| 現場監督 | 芝川建築部 |
| 一、 工事請負者 | 竹中工務店 |
| 雑誌「建築と社会(昭和3年11号)」より抜粋) | |
設立者 芝川又四郎
このビルを建てた芝川又四郎は、江戸時代から続く唐物貿易商の六代目にあたります。江戸時代から伏見町に百足屋(むかでや)を構える芝川又右衛門家が後に不動産業へ転じ、1912(明治45)年、大阪市西区三軒家(後に小林町に移転)に千島土地株式会社を設立します。
又四郎が家督を相続した1923(大正12)年は、千島土地の造った大正運河が6月に竣工、そして9月に関東大震災があった年です。前年から海外洋行で建築物、学校などを視察していた又四郎は「火事、地震に強い建物を」との考えから、日本家屋と洋館が折衷された伏見町の芝川本邸を、1927(昭和2)年に鉄筋コンクリート造の「芝川ビル」に建て替えました。
(1949(昭和24)年に百又株式会社を設立。現在芝川ビルは百又の所有となっている。)
